認知症の気持ちを理解する

 認知症の方の施術をすることがありますし、介護されているご家族の悩みをお伺いすることは多いですが、自分自身が認知症になっている訳ではないですし、認知症の人がどういった気持ちをしているのかを考えるのは非常に難しいです。

 先日、「ファーザー」という映画を見て、認知症の方はこういった心境なのかと深く感じることができました。医療系の方、介護をする方、認知症に興味がある方にはお勧めの映画です。私個人の感想も含みますので、以下に若干のネタバレも入ります。

 ネタバレせずに見たい方は、この下の文章については読まずに映画をご覧下さい。

1.認知症

 認知症で生じる症状は、中核症状と周辺症状(BPSD)に分けられています。中核症状は全ての人に生じる症状で、周辺症状は人によって違いが非常に大きく、問題とされる行動も含まれていきます。

中核症状

中核小徐うは脳細胞の減少や機能の低下によって生じやすいもので、以下のようなものがあります。

記憶障害

 記憶障害は、記憶することが難しくなることで、物覚えが悪くなってしまったり、さっき聞いたことを記憶できなくなってしまう状態になります。さらに、憶えていたことも忘れてしまいやすくなりますが、自分の子どもの頃などの昔の記憶は比較的覚えています。

見当識障害

 見当識とは、「いつ」や「どこ」という、自分の状況を把握する力が弱くなってしまった状態になります。「いつ」や「どこ」というのが分からなくなってしまうと、行動するのが難しくなってしまうために、道に迷ってしまったり、家の中も分からなくなってしまったりします。自分と他人の関係の障害が生じることもあり、自分と家族、友人との関係が分からなくなってしまいます。

理解・判断力の低下

 情報を理解するのに時間がかかるだけではなく、情報を処理するのも低下してしまいます。早口で言われたりしてしまうと理解することができずに混乱してしまいます。衣服の指示でも「暑い」「寒い」だけでは理解できないので、「半袖を着る」や「コートを着る」という具体的な指示が必要になってしまいます。

実行機能障害

 実行機能とは、何かを行うために計画を立てたり、順番通りに効率よく行動する機能のことを言います。日常生活だと、食事の支度が典型的なもので、食事を食べるために、買い物、調理、配膳などをスムーズに行えなくなります。炊飯器のスイッチを押すような単一のことはできますが、複合になるとできなくなってしまいます。

言語障害(失語)

 言葉の理解だけではなく、話すことが難しくなってしまいます。言葉を聞くことができても、理解することが難しくなってしまい、自分が思っていることも話すのが難しくなってしまいます。

失行・失認

 失行は、手足を動かす機能は問題がないはずなのですが、日常的に行っていた動作や物の操作ができなくなってしまう状態になります。

 失認は、自分の身体と物の位置関係が分からなくなってしまう状態です。半側空間失認という状態になってしまうと、身体の半分(左右のどちらか)の空間を認識することができないために、食事を片側だけ残してしまったり、洋服を片側だけ着忘れてしまったりします。

周辺症状(BPSD)

 周辺症状の症状は多彩ですが、過活動状態と非活動状態に分けることができます。周辺症状はどのような症状が出るのか分からないので、人によって違いがあります。

過活動状態

 過活動状態で生じる症状は、興奮、不穏、幻覚、妄想、物盗られ妄想、大声、性的逸脱行為、脱衣、消痩、易怒性、攻撃性、帰宅要求、過干渉、らん収(収集)、ろう便(放便)、暴力、自殺念慮、昼夜逆転、徘徊、まとわりつき、異食、過食、夕暮れ症候群、常同行為などがあります。

非活動状態

 非活動状態で生じる衆生は、うつ状態、喪失感、不眠、意欲低下、拒食、摂食障害などがあります。

2.ファーザーから見る認知症

 「ファーザー」という映画は、認知症の方からの視点になるので、映画全体のストーリーとしては、どういう状況なのか、どういった話なのか分からないと感じましたね。さっきの出ていた話、画像が本当なのか、それとも嘘なのかが全く分からず、大分長い間、分からないというフラストレーションが貯まる感じでした。

 すべてが真実の話のように進むので、演技はとにかく素晴らしいですね。アカデミー賞の主演男優賞を受賞しているも納得ですね。80歳以上の年齢であの演技、セリフは凄いの一言です。

 認知症の視点から作品が進むので、最初に話た内容が次のシーンでは嘘ということになり、次のシーンではまた違う話や、最初の話が本当だったりと、何が本当に話か分からない状況が続きます。

 もし、こういった状況が普通の人に起こったとしたら、話しが違うのが何度も続くことになり、不信感も生じていきますよね。認知症の人は確かに物忘れも多く、通常の話も遅くなりがちですが、脳の全ての機能が停止している訳ではないので、その時々では、多少にぶいにせよ、通常の頭と同じなので、自分が忘れてしまうという前提だとしても、周囲の状況や人が覚えられないために全てが変わってしまうように感じてしまい、不信感が強くなるのでないでしょうか。

 物盗られ妄想もよく聞く話ですが、物を置いたのを忘れてしまいますし、周囲の話が自分の「その時」に思ったいたこと、記憶と違うので、一緒に物を探してくれた人に対しても不信感は消えないのでしょうね。

 例えば、映画では時計についての話が出てきたので、時計で考えていけば、「時計を無くした」という本人の思いがあり、心配しているにも関わらず、周囲から「どこかにあるでしょ」と言われたら、本人が感じている重要度と周囲の感じている重要度のすれ違いから温度差が生じるために、認知症の方からしてみたら納得がいかずに、「イライラ」が生じるのではないでしょうか。

 さらに、自分では「どこかにちゃんと置いたのに無いのは取られたのではないか」という前提がある状態で、「そこにあるでしょ」という対応をしたら、「おまえが置いた・隠した」という結論にいきやすいのではないでしょうか。

 物盗られ妄想が出た場合は、親身になって一緒に探して「自分で発見させる」ことが重要だというのはよく聞く話ですが、もし、一緒に住んでいて、毎日、数時間おき、数分おきだったら、対応する方がイライラしてしまい、丁寧に対応するのが難しい状況ですね。

 この映画を見て思ったのは、認知症の人からの視点なので、自分の記憶が定かではない状況で、周囲の対応する人が変わるというのは非常に強いストレスなのだなというのも分かりました。鍼灸で毎週のように対応していると、だんだんと、記憶の定着が出来て、「同じ服装」であれば、「鍼灸の人」として記憶してくれることもありますが、やはりたまに忘れてしまうことも多いですしね。

 映画の最後では、介護の人が対応しているシーンが出てきますが、同じような話を何度も何度もされているはずなのに、ぶれない対応をしていますし、振り回されない部分もあるので、やはり経験は重要ですが、ずっとの対応でないのでできることと言えるかもしれませんね。

 子どもの成長をみていけば、老化は逆に進んでいくというのも理解できますが、何年という終わりが見えないところも介護の大変な部分です。認知症の介護をされている方、認知症の対応をされている方には一度、見てもらいたい映画でしたね。

 ただ、明るい話ではないので、気分が落ちているときに見ると、ちょっと辛いかもしれませんね。私にとっては非常に勉強になる映画でした。